前作の後、一年半くらいのツアーをやったんだけど、今までで最高のツアーだったよ。あのアルバムはおれたちに素晴らしい成功をもたらしてくれた。あんなことになるなんて誰も期待していなかったんだ。だって一週間半くらいの速いスピードで制作したCDだったからね。
ツアーが終わって帰ってきたときにおれは「さて、次はどうしよう」って考えていた。おれはいつも、これが最後のアルバムだ、って思いながらレコーディングしていた。これで終わりだから、良いものを作らなくちゃいけないんだ、って。というのも、このバンドはちょっと変わった経歴を持っていて、出発点も5、6日かけておれが独りで作ったデモ・テープだ。この10年間おれたちは自分自身の門戸を開くことに費やしてきたけれど、おれは世界で一番ラッキーな人間だったと思っている。これは本当さ。おれは自分がしたいことをできる状況にずっといるんだからね。宝くじが当たって家具倉庫の仕事から逃れられたみたいに、おれは来る日来る日も音楽を作っていられるんだ。このことは幸運だとしか言えないし、絶対に忘れることはできない。すべてはまぐれ当たりみたいなものだったよ。バンドを結成し、セカンドも製作し、サードさえ作れた。おれには素晴らしいバンドで最高のサウンドを作る機会がずっとあったんだ。だからそのうち活動を止めることになったら、普通の生活に戻るんだ、と感じていた。これが最後のアルバムだ、これが終わったら子供を作ったりして平凡な人生を送るんだ、ってね。もちろんいつかはそうしたいと思うけど。
バンド活動を始めてから10年がたって、おれはこれから進む方向を考えていた。また次のアルバムを製作するのか、続けざまにどんどんリリースして行くのか、それともニール・ヤングみたいに15年に一度くらいのリリースにスロウ・ダウンするのか、どうするべきなのかと。そして思いついたのは、(一年半くらい精力的にツアーをやって帰ってきてから)ひとりでアコースティック・レコードを作ろうかな、ってことだった。ソロという形式じゃなく、トム・ぺティみたいに映画のスコアなんかをひとりでアコースティックで制作するんだ。
おれたちはいつもアコースティック・ソングを作っているし、殆どのロックの楽曲はアコースティック・ギターを使いながら書いている。だからおれは「家には良いスタジオもあるし、とにかくやってみよう」と考えて、レコーディングを始めた。楽曲もスコアも両方できたよ。なんとも言えない綺麗なサウンドが次々に現れて、自分を誇りにさえ思った。ただハードコアっていうんじゃなく、申し分のない美しい"音楽的作品"なんだ。最高の気分だった。けれどもそれらを聴いているうちに、「ちょっと待てよ、このサウンドはフー・ファイターズじゃないか?まるでおれたちのバンドみたいだな」と感じたんだ。「マイ・ヒーロー」や「エヴァーロング」や「タイムズ・ライク・ディーズ」といった楽曲から枝分かれしているように思えた。それでおれは、たぶんフー・ファイターズはアコースティック・アルバムを製作するべきなんだろうと感じた。次のアルバムは、とにかく今までとは全く違うものにしたらいいじゃないかと思ったんだ。
けれど、ハープかなんかのコードに変えられて結婚式で流されるような楽曲はごめんだった。やっぱりおれたちはロックをやるべきだし、だからそっちも書き始めることにしたんだ。
アルバム製作をしているときにおれたちがいつも迷うのは、異なった楽曲をどんなふうにひとつのアルバムに収録するか、ということだ。それは楽曲「ヴァージニア・ムーン」(アコースティック)と「イン・ユア・オナー」(ロック)を、どんな形で同じアルバムに入れ込むか、ってことさ。ただ一緒に収録するだけでは、なんとなく胡散臭いしやりすぎって感じだろ。「イン・ユア・オナー」は初期のメタリカみたいなサウンドだし、「ヴァージニア・ムーン」は「イパネマの娘」みたいなんだぜ。さて、どうしようかと考えていて、そしてそのときにダブル・アルバムってのが思い浮かんだ。今まではそんなことは考えたこともなかったよ。おれたちにそんな力量があるのかどうかもわからなかったし。でもおれは、とりあえず楽曲を分けてみよう、ダブル・アルバムを作ってみよう、ってみんなに言ったんだ。アコースティック・ソングを(おれたちには7、8年貯め込んでいた楽曲があったんだけど、しっくりこなかったからこれまでのアルバムに収録していなかった)ひとつにまとめ、ロックをひとつにまとめる。そうやって二つに分けることで、ミドル・グラウンドを無くすんだ。それはすごく良いアイデアに思えた。ダイナミックに極端に二等分することができるし、そうすることによって、もっとデリケートで美しくて雰囲気のあるアコースティック・サウンドが作られるし、もっとパワフルでアグレッシヴなロックも作ることができる。
幸運にも、この10年間製作してきたアルバムは多岐にわたったものだったから、おれたちは広がった枝の方向をさらに練ることができたし、後でわざとらしく見えることもない。つまりおれたちはファーストがこういう感じでセカンドがこういう感じ、といった基礎をすでに作っていて、それぞれが持つ異なったリズムを次の段階でさらに磨きをかけた、っていうことなんだ。おれたちは閉じられた世界のなかにいるんじゃなく、常に外側に向かって動いているのさ。
それがアコースティックを聴いたとき、まるでフーみたいだ、って思った理由なんだ。でもアコースティックCDはおれたちがこれまでに作ってきたものよりもずっと美しく、ロックCDは(もちろんフー・ファイターズの雰囲気を失っていないけど)ずっと激しいものになっている。これを成功させるために、「ミドル・グラウンドを取り除いて、2枚のCDを作り、そして一緒にする」ということを行った。おれはこういうことができるんじゃないかとはずっと思っていたんだけど、それでも今回のような形になるとは思っていなかったよ。本当に最高だ。
そしてコンセプトに関しては、例えば金曜の夜にアリーナでロックのライヴをやって、クレージーで誰も見たことがないような激しいセットをプレイし、翌日土曜にはシアターでアコースティック・ライヴをやる、ということを考えた。たとえライヴでも、両方を混ぜ合わせたりせず、それぞれで通すんだ。だからみんなはロックのライヴへ行くと、「ワーオ、おれも初期のメタリカ大好きだぜー」って感じになるけど、アコースティックの方へ行くと(笑)椅子に腰掛けて音楽をじっくり聴く。そこには弦楽器もオルガンもメルトロンもいて、オーケストラになってるってわけ。まったく異なった体験だよ。それを街ごとにできたら、ほんとに自分たちを誇りに思えるだろうな。なぜなら音楽的な観点でいえば、そういった経験はすごく大切なことだと思うからだ。これは最高の楽曲が詰まった2枚の素晴らしいCDだ。基本的におれたちはここにやってきてスタジオを3ヶ月半ほどで築き、2ヶ月で2枚のアルバムをレコーディングして、同じパッケージに入れたのさ。
それからおれは、ゲスト・ミュージシャンを迎えたら、アコースティック・サウンドをさらに優れたものにできるに違いないと考えた。
おれは参加して欲しいゲストをリストにしてまとめてみた。まったくクレージーなリストを作ってしまったよ。ウォーレン・へインズ(ガヴァメント・ミュール)とかオールマン・ブラザーズ、グレン・ハート、ノラ・ジョーンズ、マイ・モーニング・ジャケットのジム・ジェイムズ、レイチェル・ヤマガタ、ショーン・マーシャル、クィーンズ・オブ・ストーンエイジのジョッシュ、レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズ・・・。そして出来上がった長いリストをマネージャーのジョン・シルヴァに送りつけた。あ、それにライ・クーダーもだ。するとその後、一人ずつ「いいね、やろう」って返事が返ってきたんだ。みんなその気になってくれたんだけど、おれがしなくちゃならないのは15曲あるなかで誰にどれをプレイしてもらおうかってことだったよ。おれはすごく興奮していた。まるでバンドのファースト・アルバムを製作したときみたいにね。最高だよ。10年に一度は新鮮さをキープするために、バンドはこういうことをやるべきだな。そんなわけだからアコースティック関係はすごく早く決まった。おれたちは1ヵ月半から2ヶ月くらいロックの方をレコーディングしていたから、もうアコースティックに手をつけなくちゃならなかった。だからみんなでミーティングをやって、もう時間はかけられないって話をしたんだ。水曜にベースをやって木曜にギターをやってなんてやり方じゃなく、みんな一緒に一日でライヴでやんなくちゃならない、そうしないとダメなんだ、ってね。そんなやり方初めてだったから、みんなちょっとビビッてたよ。ここに座って一日で一曲をトラックして、何曲かは、ええと「レイザー」って曲があるんだけど、その曲をレコーディングしたときおれは部屋の中央に座ってギターを弾きながらルーム・マイクで歌い、クィーンズ・オブ・ストーンエイジのジョッシュがそこでギターを弾いていた。たったそれで終わりさ。そして驚くべきサウンドが出来た。すごくナチュラルでぴったりだった。おれたちアコースティックをすごくスムーズに制作することができた。サウンドも最高だったけど、だってアコースティックはすごくシンプルなものだから滅茶苦茶にするのが難しいくらいだろ。マイクの前にアコースティック・ギターを持って座り美しい曲を演奏する。それだけさ。だけどそれからまたリストを見て思ったよ。ああ、誰がみんなにこれを伝えるんだろ、って(笑)
それから楽曲「ヴァージニア・ムーン」は8年くらい前に書いたものなんだけど、これまで収録するのにぴったりなアルバムがなかった。おれはこの楽曲で女性を使いたいと思った。それで誰がいいかなと考えて、ショーンかな・・・ピアノが必要だなと思ってノラ・ジョーンズを思い浮かべたんだ。アルバムを聴いただけで会ったことはなかったけど、彼女には豊かで深いハスキーな声がある。それで彼女に訊いてみたら、「OKやるわ」って返事がきたよ。彼女はこのスタジオへやって来て、たった一度のテイクで目を見張るようなピアノの演奏を見せて釘付けにしてしまった。本当に素晴らしかった。ピアノを叩き鳴らすようなやり方じゃなく、まるで鍵盤と踊っているかのように滑らかで、楽曲の完璧な窪みを見つけているかのようだった。おれはただただ驚いていたよ。彼女はこの部屋でプレイした最も才能溢れる人物だといえる。全く信じられない。
そしてレッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズがやって来た。もちろん彼の名前はおれのリストにあったが、あれはまるでメイク・ア・ウィッシュ基金のリストみたいなもんで、名前があるから実際に来てくれるってわけじゃない。でもおれはツェッペリンのタトゥーをいっぱい入れてるくらいだし・・・まあ、チャンスはこのときだろうって気がしていた。彼のマネージャーから返事がきて、「グラミーの功労賞でそっちに行くんだよ。直接話してごらん」、って言われて、彼と電話で話すことができた!ジョン・ポール・ジョーンズは本当に世界で一番いいヤツだ。最高にクールだったよ。それは彼がレッド・ツェッペリンのメンバーだからって訳じゃない。彼はモンティ・パイソン(昔のコメディー番組)に出演することだってできるよ。おれはそんな印象を抱いたね。だってすごく頭がきれるんだ。おれは電話で彼にメルトロンをやって欲しいって話をした(それが彼の担当でもあるからね)。そうしたら数日後に「マンドリンも持っていくよ」ってメールがきて、おれは「あああー」って感じさ。世界で一番ナイスな男がやって来たとき、彼はメルトロンとピアノとマンドリンでそれぞれ3曲プレイしてくれた。そしてそれは言葉で言い表せないほどの体験だった。おそらくおれの音楽人生のハイライトだったといえるだろう。ガキの頃からツェッペリン・フリークだったおれが、ジョン・ポール・ジョーンズがメルトロンを弾いている楽曲でドラムを叩いているんだぜ。「なんてことだよ!こんなことが起こるなんて!」って興奮しっぱなしだった。彼はすっごくクールに弾いていたよ。でもみんなが呆然となっているなかで、ギターのクリスは「すごいクールなリフだな、おれたちも使おうよ」なんていってたんだぜ(笑)。
アコースティックCDはすごくゴージャスだ。おれにとってはこれまで製作したなかで一番出来が良いアルバムだし、サウンドも信じられないほど美しい。そしてロックCDの方は、同じくこれまで制作したなかで最もアグレッシヴなものになった。叫びすぎてヴォーカル・ドクターが必要になったくらいだよ。でもロックCDでは思い切りエキサイトして大騒ぎでレコーディングしたくせに、その後アコースティックを聴いたら、なんていうか、ロックを食ってしまっているんじゃないか、っていう気がしたんだよ。それでおれたちはロック・アルバムの方を、さらにパワフルにする必要があった。アコースティック・アルバムはまさに素晴らしい出来栄えでこれ以上ないってくらいなんだけど、ロックがそれに食われちゃしようがないだろ。だからおれたちは残りの3週間に昼から朝8時までかかって、ロックを今まで最高にパワフルなものにしたんだ。そうして史上最高の2枚組CDを作り上げたってわけだ。
この制作を始めたときにおれにとって最も大事だったのは、長い間ずっと残るアルバムにしたいってことだった。父親が子供に「お父さんはフー・ファイターズって知ってる?」って訊かれて、「もちろんさ」と答える。「どのアルバムを買ったらいいかな」と尋ねられ、「イン・ユア・オナー」だと答える。そういうものにしたかった。このアルバムこそ、フー・ファイターズなんだ、って。例えばレッド・チェッペリンのファンにどのアルバムを買うべきかを訊ねたら、おれは「レッド・ツェッペリンⅣ」とは答えて欲しくない。「天国への階段」が入っているから、大体みんな「Ⅳ」っていうんだ。でもそうじゃないんだ。「フィジカル・グラフィティ」だろ。ツェッペリンが聴きたいならつべこべ言わずに「フィジカル・グラフィティ」を買えばいいんだ。おれはこのアルバムでまさにそういうものが欲しかったんだ。みんなにいつまでも記憶に残るアルバムだと言われたいし、その通りになっていると思う。だって「イン・ユア・オナー」は最高のアルバムになったんだぜ。これを作り上げたおれたちを誇りに思うよ。それに今日はおれにとってスタジオ最後の日なんだ。明日おれはハワイに行くんだからな!毎日毎日朝の8時までずっとここにいて、全く缶詰状態だったんだからな。